せいさんの
お勧めの山
  馬口岳 (ばくちだけ1435m 宮崎県椎葉)

宮崎県椎葉村の「せいか」さんの手記

馬口岳遠景 椎葉村小崎地区から見る馬口岳 登山道ができたのは、1999年10月19日です。 2年前に亡くなった右田貞行さんという方が、村のために役立て てくださいと遺書とともに残してくれたお金を、使わせていただい て切り開きました。

彼は、この地区出身で福岡在住でした。 若い頃から、里帰りのたびに、この山に登っていました。 自衛隊を定年退職されて間もなく、ガンになり、手術と入退院を 繰り返していましたがその間も、体調が良いときに、戻ってきては、 一人でこの山に登っていました。 ガンの告知を受けていて、自分の死期もわかっていたのだと思います。 ばくち石に座って、静かな時間を自分と向き合って過ごされたのだと思います。

右田さんの石柱
山頂にある右田さんの石柱
山頂に、右田貞行の名を彫り込んだ石柱があったでしょう。 あの石は、去年、登山道を切り開いた際に立てたものです。
40キロほどの重さの石なんですが、みんなで交代で背負っ て登りました。作業のための機械なども、かついで登ったの で重労働だったと思いますが、登山道を完成させた後のみん なの顔は、最高の輝きを見せていました。

私は、ばくち岳に登るたびに、貞行さんのことを思います。 物静かで、穏やかな笑顔、みんなに好かれていました。
彼は遺書に、ばくち石から散骨してほしいと書いてありました。
死を間近にした彼が、ばくち石の上で過ごした時間と、様々な 思い、私は、いつもそれを考えると、胸が熱くなります。

馬口岳山頂にて
馬口岳山頂にて
(2000年11月やまびこ会)
登山道ができて、一年がすぎました。 村のみんなも、この山にいつでも登れるようになり、村外からも いろんな方々が、この山に登りに来るようにもなりました。
貞行さんが愛した山が、さらに多くの人に愛される山となり、 ばくち岳を、大切にしていこうという気持ちが、この村の住民 の絆も深めてくれました。
私は、貞行さんが、喜んで下さっているのを感じています。 そして、遠くから、この山に登りに来て下さる方々は、貞行さん が、招いてきて下さったような気が、私にはするんです。
ばくち石展望
貞行さんが愛した「ばくち石」の展望
初めて、ばくち岳に私が登ったのは、1998年の5月5日で した。 まだ、登山道もなくて、笹藪をかき分けながら、夫と 息子達の後から、息も絶え絶えにやっと付いて登りました。
その頃は、山を熟知している夫でさえ、山頂からばくち石ま では、藪に飲まれて、方角を見失い、苦戦しながらやっとた どり着いたんです。
怖々と、震えながらばくち石によじ登った時、すごい感動で した。澄み切った青空と、眼下の里、周りの山々の神々しさ 山の神の呻りとも聞こえる、風の音、、、 親子4人、それらに圧倒されて、しばらくの間、言葉にもなり ませんでした。 静かな時間、本当に、命と向き合わされたような、すごさが あったんです。 貞行さんは、ここに、命と向き合う時間を求めに来ていたん だと思いました。
せいか、ケイユキさん
せいかさん、けいゆきさんご夫婦
下山後、すぐに、この山で受けた感動を、誰かに伝えたいとい う思いで、「ばくち岳1435メートル」というタイトルで 九州の山 掲示板に、この日の登山レポートを、一気に書き込みました。 今は、そのとき、何をどう書いたか、あんまり思い出せないので すが、しばらくの間、相当熱くなっていたので、たぶん、いろいろ 書き込み続けていたのだと思います。 その後、いろんな方々が、掲示板の記事を見て、問い合わせを して来られました。 林道の整備や、森林環境の保護など、我々の手だけでは、難しい 問題が、これからいろいろと出てきそうですが、みんなで、これから も、この山を大切にしていきたいと思っています。
【2001年4月記:せいか】 写真:TAKA、ヒデ


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