さえ(亜紀)の山レポ
2003年4月16日〜20日
  


 

 
 

 4月21日 晴れ
九州では19・20日(土・日)と、お天気が悪かったらしいが、今日はたまった洗濯物も半日で乾くほどの晴天だ。一月に35日雨が降る、といわれるくらいに雨量の多い屋久島だが、旅に出た4月16日から20日までの間、山中では一滴の雨にも遭うことなく帰ってきた。

 4月16日 晴れ
 一年前の今日、母が亡くなった日。激しい雨が降っていた夜を思い出す。母の供養をすませ、午後の列車に一人乗りこみ鹿児島へと向かう。列車は平日のためか空席が目立ち、ゆったりとしていた。
 午後6時過ぎ、予約していた西鹿児島駅近くのビジネスホテルに到着する。「今日は泊まり客が少ないので、ツインの部屋を用意しています。」と案内された部屋はホテルの5階にあった。夕食をすませた後時間をもてあそび、一人ワインなど買って飲んでみたが、それでも退屈で、ロビ−に置いてあるパソコンを拝借しネットを覗いて見た。最近無料で使えるパソコンを探すのが上手くなったものだ。メ−ルもホットメ−ルなどを使うと、どこからでも書き込めるし便利なものだ。
 翌朝、この部屋からは桜島に昇る朝日を望むことが出来た。

 

朝日を浴びた桜島

港から桜島

 

 4月17日 快晴
 朝の桜島は噴煙を上げていた。港まで乗せてもらったタクシ−の運転手さんの話では、桜島が噴煙を上げたのは久しぶりのことだそうだ。港の船着き場には、たくさんの白いクラゲが浮き沈みし、波は穏やかで、噴煙をたなびかせる桜島と海の眩しさが心に残る。
鹿児島から屋久島の安房港へは高速船トッピ−で向かう。フェリ−に比べると1時間ほど早く移動できるるが、船内の座席はあまり広くはなくお手洗い以外自分の席から動くことも出来ず、少し苦痛に感じた。屋久島に近づくにつれ青空が消えていき、安房の港は雲っていた。
12時30分。ここから淀川登山口まではタクシ−で移動する。途中紀元杉に立ち寄り、登山口に着く頃には青空が戻りホットした。タクシ−を降りると、口に赤い花をくわえた、1匹のサルが出迎えてくれた。サルはその花のみつのような物をなめているらしかった。
登山口には2台の車が停めてあり、登り始めるとその一人と思われる男性とすれ違いに挨拶を交わした。 
 今日は淀川小屋泊なのでゆっくりでいい。歩き始めてすぐに感じたのが登山道の土だった。花崗岩に多くを占められたこの島は、砂浜のように荒くざらついた道が続き、山というより海辺を歩いているような感じがした。
 淀川小屋にはすでに5・6のハイカ−が到着していた。私の後にも数人やって来たが、今夜の泊まりはあまり多くはないようだ。辺りは午後の5時をまわってもまだまだ明るかった。食事の準備は小屋の外でする。持ってきたスト−ブに火をいれようとして、火種の部品が無くなっていることに気がつく。1週間前にはちゃんと使えたのに、いつ壊れたのかわからなかった。
近くで食事をしていた愛知県から来たという男女3人の人達にマッチを分けてもらい、何とか夕食を終えることができた。
 

 


澄み切った淀川

 

 4月18日 晴れ
 山の朝は早い。東京から来たという単独の男性は4時過ぎには出発された。私は約1時間遅れの5時過ぎに出発する。まだ薄暗いが夜空は青く、大きな月は太陽に負けないくらいに輝いていた。やがて太陽も顔を出し森が眠りから目を覚ましはじめた。
 まっすぐに宮之浦岳へ登ってもよかったが、百名山さんがはたせなかった、黒味岳山頂からの眺望をしたく、小花之江河−花之江河−黒味岳分岐へと進む。時々上がり始める息を整えようと立ち止まると、心臓の鼓動は早鐘のように鳴っていた。10キロを超える荷はやはりこたえ、黒味岳は分岐を過ぎた辺りにザックを置き進んだ。身軽になった体は快適で一気に山頂へとかけ登る。

 

花之江河

七五岳

 

 黒味岳山頂からの眺めは絶景で、北にはこれから挑む宮之浦岳や、どうどうとした永田岳の山容がすばらしかった。東側は降り注ぐ日の光が眩しく、南は空の水平線と七五岳の雄姿が印象的だ。黒味岳の展望を満喫した後はいよいよ宮之浦岳だ。

永田岳

主峰/宮之浦岳→拡大写真

 屋久島の奥岳には高盤岳のト−フ岩や、じつに面白く芸術的な岩を頂く山々が多く、その形からまたイメ−ジが膨らんでいく。露出した花崗岩のざらついた岩肌は靴底に張り付き、鎖場の苦手な私でも難なく越えられた。
 降りて来る人達に「あの山が宮之浦岳ですか?」と尋ねると、「あれは翁岳でその奥に隠れているのが宮之浦岳です。」と答えてくれた。
 宮之浦岳山頂にたどり着いたのは、もうお昼をとっくに過ぎた時間だった。山頂は360°雲海の大パノラマだった。山頂では奈良から来たという、陽気な4人の女性ハイカ−と一緒になる。その中の一人の女性が、携帯電話でご主人らしい人に近況報告をしていた。彼女達とは翌日、新高塚小屋から縄文杉まで追いつき追い越されの仲になった。
「お母さんにはあと4年元気でいてもらわんと、北アルプスにはいかれん!」
などと話していたのはこの女性だっただろうか。


宮之浦岳より雲海

 

 4月19日 曇り
 好天続きの屋久島も今日当たりは雨が落ちるかも知れない。でも、その方がもっと屋久島らしい姿を見られるようにも思えたが、結局降雨はらずに終わることになる。
 新高塚小屋を昨日より約1時間遅れで出発する。両足は昨日の歩きが残り、ペ−スはぜんぜん上がらない。小屋を出て間もなく小休止を取っていると、2匹のつがいらしいヤクシカが近づいて来た。さっき落としてしまったピ−ナツを拾い、手のひらを持っていくと、その雄シカは食べてくれた。食べ物の袋を持っていると、ねだるような目をしてなかなか離れようとしない。雄シカの切り落とされ短くなった角に、ちょっとだけ触れてみた。その顔は引き締まり、触れるとゴツゴツとした骨格が分かった。噛みつかれないかと少し怖々だったが、野生のシカがこれほど人慣れしているのことに驚いた。後でこの事を地元の人に話すと、人の手から餌を食べた話は初めてだと言われた。ヤクシカとの楽しい一時を終え次の縄文杉へと急ぐ。

 


屋久鹿

 

 山にこもる時はいつもの事だが、洗顔や化粧が思うように出来ない女性には少々辛い。朝起きるとパリパリに乾いていた肌が、森を歩き始め少しずつ潤ってきた頃、縄文杉に到着した。
 樹齢2600〜7200まで諸説の残る、みごとな佇まいをカメラに収め先を急ぐ。縄文杉を過ぎた辺りから、すれ違う団体のハイカ−が増え始めた。りっぱな木製階段が続き、道はほとんど下りであるがそれもシンドク感じながら、ようやくウィルソン株まで下山する。
 ウィルソン株。その名は、アメリカの植物学者ウィルソン博士によって、屋久島が世界に紹介され、最も大きな切り株がウィルソン株と呼ばれるようになったそうだ。
 ウィルソン株を後にし、大株歩道まで降りた後は軌道敷の道をひたすら歩いていく。登りこそないが結構な距離だ。楠川歩道出合まで歩き白谷雲水峡へいくには、これからさらに辻峠を越えなければならない。「もののけ姫」のシシ神の森は、ここ白谷雲水峡がモデルになったと聞いた。ぜひ歩いてみたい所だと思っていたが、案内板の距離を見てそのまま荒川への下山を決めた。

 

ウィルソン株

 

 しばらく歩いていると、下山途中にすれ違った二人の若者に追いつかれた。彼らは縄文杉まで登りもう下山して来ていた。話を聞くと降りるのは同じ荒川登山口のようだ。北海道に住む若者と、イングランドから来たという若者。二人もまた、途中で道連れになったそうだ。
 荒川までバスも来ているそうだが、今降りても2・3 時間の待ち時間があるようだ。下山後、北海道の子は相乗りさせてくれそうな人を探してみると話していた。
 彼らと別れた後、時間つぶしにと花の写真など撮りながらグズグスと歩いていた。すると、さっき別れたはずの北海道の子がまたやった来た。
「相乗りさせてくれる人が見つかったので、迎えに来ました。」と言うのだ。
「もう一人、おばちゃんが降りて来ているので待っていて下さい。」
「と、この子に頼まれ待っていが、こんないい子そういないよ。」
ホントにそうだと思った。でも、おばちゃんって?私達を車に乗せてくれたのは、屋久島に惹かれ10年以上渡り続けた後、家族は熊本に置いたまま、とうとうここに移り住んでしまったという人だった。
それによく話を聞いてみると、私がいつも利用させてもらっているアウトドアショップの常連さんだった。ホントに世の中広いようで狭いものだ。
 この方には屋久島での生活ぶりなどを聞かせてもらいながら、地元の小さな温泉に案内してもらい、宮之浦港近くの宿泊予定の民宿まで送り届けていただいた。

 


出会った若者

 

 民宿のお母さん(女将さん)は、夕食が済むと私達客人を置いたままこの日もお出かけだった。お父さん(旦那さん)は、私ともう一人の一人旅の女性に、焼酎「愛子」を進めてくれた。お二人はご自分の子供さん達がそれぞれ独立した後、こんな旅人達との時間を大切にしたいと民宿を始められたそうだ。お酒を飲んで、心に抱いてきた重たい物を置いてもらい、かわりに元気をお土産に持って帰ってもらいたい。お父さんは、そんな話しをされていた。
 この日の夜、無事に下山したことをミラさんや、百名山さん、それに星座に来ていた山の仲間に報告した。
 

 

 5月23日 晴れ
 昨日、屋久島土産の「さば節」を、ようやく百名山さんに手渡すことができた。百名山さんは、昨日から今日まで仕事で熊本へ来られていたのだ。最近なかなか山でご一緒できず、忙しいなか時間を作ってもらい、やっと会うことができた。
 街で顔を会わせたのは初めてで、いつもと違う姿に少し緊張してしまった。屋久島の話はもちろんだが、百名山さんが学生時代に生活されていた北海道のことが、最近とても気になっている私がいた。

  

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